2007年6月発行機関誌 No.005

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暖かい春があっという間に過ぎ、もうすぐ暑い夏がやってきます。夏の計画はもう立てましたか? 今回は、らいふ・すけっとに寄せられる要望の多い「児童の移動介護」について、所長と理事長がそれぞれエッセイを書きました。 そこから、らいふ・すけっとの仕事に対する「姿勢」や「想い」を汲み取っていただければ幸いです。

日頃のヘルパーの付き合いで変わってきたこと
~ 知的障害を伴う自閉症児皓生君の場合 ~

皓生君は現在、養護学校小学部5年生の知的障害を伴う自閉症児です。 皓生君は、外出好きで、ビデオやDVDが好きな子ですが、これまで両親か4年近く担任している教師としか遊んだり対人関係を作れませんでした。

皓生君の両親が少年団の役員をすることになり、役員の活動や行事に参加する際に皓生君の支援をしてほしいとのことで、2006年6月から「らいふ・すけっと」が移動支援ヘルパーを派遣することになりました。
ヘルパー派遣を始めるにあたり、ご家族と相談し、加古川市の「移動介護の基本的考え方」という枠の中で格闘しながら、支援の課題、目的を次のように決めました。

『一年くらい前から母親から離れられなくなり、常に母親が必要になってきているので、今後、母子の行動にヘルパーが同行し皓生君がヘルパーに慣れることにより、親から離れても自分の時間を楽しんで過せるようになることを目指す』

本人の意思を尊重し無理強いをしない、社会的経験の機会を作る、母親を交え、ヘルパーの存在を認識してもらい信頼関係を作ることを考慮しながら、まずは母子の買い物等に同行する、母親が少年団の行事に参加する時には、母親とは別に、皓生君はヘルパーと一緒にその行事に参加します。さらに、自閉症からその行事に参加することが難しい場合や、皓生君が参加を嫌がった場合などは、ヘルパーと二人で行動することから始めることにしました。

ヘルパー派遣を始めた頃の皓生君は、母親が離れると心配らしく、すぐにヘルパーの手を引っ張って母親の近くに行くというような状態でしたが、母親も我々ヘルパーも、いつか電車やバスを利用してヘルパーと二人で外出できるようにしたいと考えていました。
そして、この1年ヘルパーとのかかわりを続ける中で少しずつ変化がでてきたのです。

その皓生君の変わってきた様子を紹介します。(派遣記録を基に作成)

ヘルパーと過ごすことに慣れてくる (2006年10月)

初めて母親と離れて過ごす日。そのころ家では母親が、「今日は誰とどこで何をする」とホワイトボードに書いて皓生君に知らせるようにしていました。

この日はヘルパーとトイザラスへ行きます。トイザラスで遊んでいる途中に駐車場に出て「ママ・・」とつぶやきましたが、ヘルパーが「ママは公会堂だよ、トイザラスで遊んでいよう」と言うと、自分からトイザラスへ戻りました。昼ごろになると「大好き」と言って抱っこをせがんだりすることはありましたが、ゲームやビデオなど自分の行きたいところへ走り回っていました。

ヘルパーも、皓生君がヘルパーと過ごすことに随分慣れてきたと実感するようになってきました。

ゲームを見ているだけでなく自分でもお金をいれてしたい (2007年2月)

ヨーカドーのゲームセンターで、いつものように「ムシキング」のゲーム機を触ったり、ほかの人がやっているのを傍で見ていましたが、しばらくして皓生君は自分のかばんのファスナーをあけ財布を取りヘルパーに渡すしぐさをしました。ヘルパーが「ゲームするの?」と尋ねると財布を渡してくれたのです。自分でお金を出してやりたがったのは初めて! 出てきたカードを取って、さあ!やるが・・一度始まるとなかなか終わらない。その場からヘルパーが離れようとするのを「まだやってる!」と何度も引き止める皓生君でした。

新幹線を見ているだけじゃなく乗りたい (2007年1月)

その日はヘルパーと電車に乗って姫路まで行き新幹線を見に行く日でした。新幹線のホームに着き待合室で座って待っていました。新幹線が入ってくると待合室から出て新幹線の近くまで行って見るが、やはり乗りたそうな様子。ヘルパーが「乗りたいの?」と尋ねるや否や身体が車輌の中へと動く、ヘルパーも一緒に入り通路を通って外に出ました。待合室に戻り「今日は乗っていきません」とのメモを見せ、それは理解したもののやはり乗って行きたかった様子でした。乗りたい気持ちを行動で示したのです。

今日はヨーカドーに行きたい (2007年5月)

姫路まで行き新幹線に乗る予定で出かけました。尾上の松駅で皓生君はいつものように自動券売機で切符を買います。が姫路までの切符ではなく120円のボタンを押したのです。いつも皓生君は行き先の料金ボタンをばっちり押すのだが・・・。

ヘルパーが「そこじゃないよ」と言うが、皓生君はそのまま改札方向へ行こうとする・・・。皓生君の押したボタンは西二見までの切符だったので、ヘルパーがメモ帳に「今日はどこへ行きたいですか?

(1) 姫路へ行って新幹線。
(2)二見のヨーカドー。」と書いて見せると、彼は「ヨーカドー」にペンで印をつけたのです。

『皓生君はちゃんと分かっているんだ!びっくり!!』

そこで行き先を変更して二見のヨーカドーへ。皓生君は自分の行きたいところへ自分の意思で行ったのです。姫路から新幹線で西明石までのコースは何度か皓生君はヘルパーと行く経験をしていたので、今回もお母さんがその予定で依頼されました。

しかし、皓生君の考えは違ったのです。

『新幹線に乗るんじゃなくて、ヨーカドーでゲームがしたい!』

これを彼は自分の力で実現したのです!すばらしい!!この日、ヘルパーの視点は親の決めた予定ではなく、皓生君を見ています。

皓生君の押した料金から彼の思っている事を感じ取り、彼から行きたい場所を引き出したのです。この皓生君とのやり取りが、皓生君の自己決定、自己実現の生き方を予感させますよね。

この一年、皓生君の思いや心の叫びをヘルパーは聞き取り、感じ取り、支えたり、励ましたりを積み重ねながら、皓生君の思いを実現させる事により、また皓生君自身の頑張りもあり、互いの信頼関係を作り上げる事が出来ました。

現在では、ヘルパーと一緒に外出する日を楽しみにしてくれています。これは大きな変化です。

このような変化と共に、様々なハプニングや困難もありましたが、工夫と協力で乗り越えてきました。人が生きる力を習得していく手段は、人それぞれです。この移動支援という制度が皓生君にとって重要な意義を残すのではないでしょうか。

今後も是非、外へ向かって心を開けようとしている子供さんを支えていきたいと思います。

これらの変化があったのは、なによりも皓生君の持っている力があったからこそです。両親の関わり、ヘルパーの関わりがその力を引き出せたのでしょう。

<この文章を作成するにあたり、皓生君の写真、本名、経過内容の掲載にご承諾頂いたご両親に感謝致します。>

所長 友 美代子

「児童における移動介護の考え方」について

最近、らいふ・すけっとでは、児童に対するヘルパーの派遣が急増しています。 その中でいつも困っているのが、加古川市の「児童における移動介護の考え方(別載)」が問題となってくるのです。 その中で「保護者が付添えない場合は、障害児と介護人の2名での移動となる。このことは、障害のない児童が一人で行動することと同じこととなる。」 「障害があるが故に、障害のない子供と較べて、日常生活の外出機会に恵まれていない部分での支援を行うことを基本として、保護者が付き添えない場合を考えていく必要がある。」 と一見正当な考えのように見るが、障害児の現実を見ていない机上の理屈としかいえません。

まずは、児童にとっても外出は、ストレスを発散する機会であり、 それぞれの年齢によって社会経験を積んでいくための機会であり、 子供が育っていく上でも権利とも言えるのではないでしょうか。 そういう観点に立って障害のある・なしによっての外出機会を考えていく必要があるのではないでしょうか。

障害のない児童が、「常に保護者と共に外出しているでしょうか?」 「外出時の保護者となりえる人は、どれぐらいいるのでしょうか?」ということを考えるとまず、 ある程度年齢が上がれば、家の周りや近くの公園等へ一人であるいは、友達同士で出かけるようになるでしょう。 そしてその行動範囲もだんだんと広がっていきます。また外出時の保護者についても、 夏休みのプールなどを親同士が交代で同行したりするように親戚の人や年上の知人やお友達の親など、 保護者役を引き受けてくれる人は幅が広いでしょう。

一方障害のある子供は、ある程度年齢になっても一人での外出が難しいため、親の都合で制限されています。 また外出時の保護者となる人も介護が必要なために親以外の人の協力をえにくいのが現実です。 だから障害児の多くは、家の中でストレスを抱えながら、大切な社会経験を積む機会か少ないまま育っています。

こうした障害児の現実を踏まえてこの「障害児の移動介護の考え方」を見ると『介護は、親や家族が行うもの、 行政はそれがどうしても出来ない部分を補うもの』という姿勢が伺えます。移動だけでなく居宅も含めて介護の保障は、 『障害児者の権利である』という視点に立った政策を行って欲しいものです。(参考資料)

理事長 高田 耕志

パブリック・コメント
~加古川市障害福祉計画(素案)に対して~

2007年2月ごろ、加古川市障害福祉長期計画(素案)および加古川市障害福祉計画(素案)に対するパブリック・コメントが募集されました。
果たして、加古川市はみんなから寄せられた意見を、きちんと反映してくれているのでしょうか? 私たち加古川市民の目で、きちんとチェックするためにも、実際に提出したものをいくつかここに掲載いたします。

ガイドヘルパー業務のシステム強化を!

私達は、視覚障害者どうし夫婦二人で暮らしております。私たちが困っていることをお知らせして、 福祉計画に反映していただきたくヘルパーさんに書いていただきました。私達は、移動支援の支給をうけていますが、 夫婦共々年齢と共に足腰が弱り、とくに妻は、最近外出時車椅子を使用しており、 バスや電車を使うのが二人とも難しい状態です。ぜひともガイドヘルパー業務に車の運転を組み入れて車での移動が 出来ますようお願いいたします。

そして何よりの不安は、夜間などに急な体調不調時や急な用事などにも対応できるシステムを作っていただきたい。

そして、市から介護保険の申請を進められるが、介護保険の通院では自宅から病院の往復のみで病院内の移動も出来ないし、 今は往復に銀行やリハビリを兼ねた買い物や喫茶店でお茶を飲む等の生活の楽しみとなっています。 そうした人間らしい生活が送れるようなガイドにしていただきたい。

重度の障害者も地域社会で自立した生活ができる加古川市に!

僕のような生活の殆どすべてにわたって介助の必要な障害者にとって、就労の場があったとしても通勤や 就労中の介助が大きな問題になっています。本来そうした保障となるはずの移動支援は、 「経済活動にかかる外出・通年かつ長期にわたる外出」の禁止事項が大きな壁となっています。 通学についても同様です。この枠をはずしてこそ本当の自立支援法の目的の一つである就労支援につながるのでは ないでしょうか。

そして、高齢化する家族に介護責任を依存し、それが出来なくなってくると従前のパターン(施設入所)でなく、 常時介助の必要な重度の障害者であっても、地域社会の中で自立した生活をしたいと考えるのは当然のことです。 それを実現する為に他市では、1日24時間を越える支給量の決定がなされています。 同じ日本に住んでいながらたまたま生まれた所や生活している所で、生活の基盤、生存権にかかわる介助の保障が 違っていいのでしょうか。

今、居宅において最大10時間という少ない保障を必要な人に必要なだけ24時間介助を視野に入れた介助の保障を どう実現していくのか、それを本計画の中に示していくことが、誰もが安心して暮らせる加古川市をつくることに なると思います。
本計画策定に当たってももっと重度の障害当事者が、参加でき生の声が反映できるようにしていただきたいものです。

ヘルパーにも就労保障を!

知的障害児の外出支援、見守りをしています。ヘルパーとして就労する上で改善していただきたいことがあります。

報酬について

知的障害児も身体介護が必要かそうでないかで報酬が違いますが、どうして差がつくのか疑問です。 労力は特に差がないように思います。児童それぞれの個性により大変なことはありますが、 むしろ身体介護なしの児童の方が活発で動きまわることもあり事故のないよう、また、 充実した内容のサービスを提供することは介護あり、なしに関らずヘルパーの労力は変わりません。

サービス内容について

支給時間が移動支援と居宅介護、それぞれで決まっていますが当日の児童の体調などで内容を外出から見守りに 変更したくても出来ないのが残念です。また、1人で登下校出来ない児童の送り迎えであっても 引き受けられないのでサービスを利用する側の希望に添えないのが辛いです。

介護に対する考え方の明確化と、現状にあった計画を!

居宅介護・移動支援等の事業を行っている立場から素案に対する意見をさせていただきます。介護給付の介護に対する位置づけが明確でないということがあります。

要介護者に対する介護は、

1. 家族が主として担い、不十分な部分を社会で負担するとする。
2. 社会全体で担い、家族はその一つの資源である。という二つの考え方がある。

介護の多くは、入浴、排せつ、食事、外出等人間の基本的人権であり、要介護者にとって介護は、 人権の保障といっても過言ではありません。この観点からこの計画に2.の位置づけを明確にしていくことが 重要な意味があると考える。

障害児者一人一人ライフスタイルは、千差万別であることは言うまでもありませんが、 しかし、障害の種類や制度・障害児者の意向によって障害福祉サービスを活用したいくつかのライフスタイルの モデルケースを作って、計画に盛り込むべきだと考える。

情報の少ない障害児者や家族にとってこのモデルを見ることによって、自分の生活をマネージメントしやすくなり、 私たち事業所としても今どのような支援が行える体制を作ればいいかが明らかになってきます。

この素案の中では市全体としての数値目標はあるが、今、障害児者個々に対して充分な支給量の決定が なされているとは思えないケースもあります。障害児者個々に最大支給決定の数値目標も、明記するべきものと考えます。

次に移動支援についてですが、すべての利用者に対して生活が拡がっている。特に児童に対しては、 家の中にこもり母親にだけストレスをぶつけていた自閉症児がヘルパーとの外出を楽しみにして 待っていてくれるようになり、少しずつではありますが「自己選択・自己決定」の方向付けが進んできています。 こうした取り組みは、単にヘルパーを派遣するだけに止まらず、毎回担当ヘルパーからの報告を聞き児童本人の思いを 推し量りながら、親御さんと話し合い次回の外出へとつなげていくということの繰り返しでサービスの提供にかかる コーディネーターの仕事量は計り知れないものがある。児童の外出時のヘルパーの危険回避に関する労働量は、 今判定されている身体介護あるなしの基準では分けられないものがある。

こうした業務量に見合うだけの報酬単価の設定をお願いします。

はりま福祉ネットワークに加盟しています

10年ほど前から姫路市の障害当事者団体が中心となって、市の政策に障害当事者の思いを反映させようと 結成されました。現在僕の住んでいる市営住宅に障害者用住宅を作ってもらうよう、 加古川市と交渉した場においても応援に来ていただき、大きな力となりました。
らいふ・すけっとも法人化後、正式に加盟しています。 今は月1回の会議で各市や団体の情報を交換し合ったり、学習会の企画や姫路市への要望行動などをしております。

はりま福祉ネットワークとして、今年は、姫路市に対し以下の点を重点に要望行動をしていこうとしております。 私たち「らいふ・すけっと」も姫路が変われば加古川も変わることを信じて参加していこうと思っています。

市の支給時間上限枠を撤廃し、「必要な人に必要な時間」の介助保障をして欲しい。障害者が住み易い住宅を確保して欲しい。ノンステップバスを増やして欲しい。などです。

理事長 高田 耕志

事務局より

2007年7月かららいふ・すけっとのホームページアドレスが変わります。

http://homepage2.nifty.com/raifu-suketto/

〒675-0023
加古川市尾上町池田387-3
ユニハイツ101号