2012年7月発行機関紙 No.010

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編集後記より

2年ぶりの発行になってしまいました。昨年は理事長の入退院でらいふ・すけっとの緊急事態、運営面でも財政面でも警報発令状態でした。・・・よく乗り切れたものです。みなさんのご協力のおかげです<(_ _*)>

3回の入退院から復帰しました!~脳性まひ者の加齢に伴う二次障害「頚椎症性脊髄症の手術」~

2010年頃から足腰が弱り始め、今まで膝立ちやつかまり立ちなど出来ていたことができなくなって来たり、手や足先も痺れたりして 病院で精密検査を受けました。

原因は、脳性まひ特有の不随運動や緊張で、頚椎が変形して頸椎の中の神経を圧迫して新たな障害を生み出していく頚椎症と診断されました。

これは手術をしないと障害の進行を早め、放っておくと寝たきりになる時期も早くなるそうです。手術は弱ってきている頸椎をプレートで固定するというものです。結果的に1年間で三度の入院、合計約半年の期間入院しました。

入院すると看護師さんがいるということで、ヘルパー制度等の福祉制度は全て使えなくなってしまい、普段来てもらっているヘルパーさんが来てもらえません。その為、その間はらいふすけっとの職員が付き添ってもらったり、結婚して退社したヘルパーさんに病院の介護に来てもらったりもしました。

入院した2回目の病室では、行き場のない末期の患者さんや高齢者の家族の患者さんなど先の見通しのない方が多く、落ち込むこともありました。でも僕には付き添ってくれる職員や介護に来てくれるヘルパーさん、帰りを待っていてくれるヘルパーさんや利用者さんも待っていてくれていることに気づき、ありがたさと共に僕も早く退院して自分のできることをやっていかなければと思いました。

退院後落ちていた体力も徐々に回復し、今年3月の定期検診では先生よりダイビングをしてもいいという許可も出ました。今はダイビングをするということを一つの目標として生活をしています。入院中に届いたヘルパーさんからの手紙をご紹介させていただきます。

ヘルパーさんから高田さんへの手紙

庭の赤い梅の花がちらちら咲き始めたり、朝夕には土の上にも霜がおりる季節なのに木々の芽は少しずつ春の準備をしているのを見るとなんとたくましいのだろうと感じます。

ご無沙汰です。長年、高田さん宅に行かせてもらいお仕事をしてきたことが私の生活の一部でした。この度は、大変な手術でしたがうまくいったと聞き本当によかったと安心いたしました。手術前の不安は少なからず体調にも及んでいたように感じました。でも手術を終えた今、退院に向けて努力されていることと思います。

私達は、与えて下さった仕事は日々心を込めて努めさせてもらっていますのでご安心ください。私は「らいふ・すけっと」で仕事をさせていただいた事でいろいろな事をまなびました。今の年齢に達したことで介護に携わった頃と、今では「仕事」と思っていた最初の頃と、今は自分が逆の立場だったらという気持ちが加わりましたがまだまだ満足してもらえるような仕事内容には到達しておりません。

挫折しそうになり退こうと思い迷惑もかけましたね。今となっては続けてきて良かったと心から思います。これは、高田さんの介護に対する考え方が私に合ったことが一番。何よりも自ら訴えたいことに心がこもっていることが私を離さないのかも知れません。高田さんから受けた影響は私にとって大きいです。改めてこんな事を話す機会が有りませんので私の思いを書かせてもらいました。ベッド上ではつまらない手紙でしょうが。

二月の終わりか三月には、以前より元気な高田さんに会えると思いますので、それまで私達は仕事で頑張りますので安心して養生して下さい。

護支給時間増量へのとりくみ~県への再審査請求、市への度重なる交渉で一歩前進~

高田 耕志

2010年の私への介護支給時間は、市との度重なる交渉にもかかわらず日常生活を維持する上で不十分な決定であったので、県に再審査請求を行いました。その結果、県は市の決定を「取り消し」としました。

その後の市への再要望を出し、ようやく50時間の増量を獲得しました。(重度訪問介護370時間、移動支援30時間)この間の記録を「障害者問題を考える兵庫県連絡会議」の機関誌に掲載されたものを転載させていただきます。

この支給決定でもまだ不足分があり、毎日の僕の介助内容を詳細に明記したものを再度作り市に提出しました。

更に、今年の2月に出された厚生労働省の指示「重度訪問介護では、市が外泊を必要と認めた場合、その外泊分も同様に請求してよい」を元に、これも使えるよう要望提出しました。その結果、これまで外泊時用として支給されていた移動支援時間が重度訪問に組み込まれ、更にトイレ介護が増えたという理由から5時間増量され、昨年支給決定の重度訪問介護370時間が重度訪問介護405時間に増量されました。

これも、ひとえにあきらめずに皆さんと一緒になって要望していったからこそ実現したことと思っております。協力や応援をしていただいた方々に感謝しております。

「障害者問題を考える兵庫県連絡会議」の機関誌より

●高田さんの審査請求の闘い

障問連の加盟団体である「NPO法人らいふ・すけっと」の理事長も務められ、自立生活33年目を迎えられ る高田耕志さん。故郷である加古川市に移り住み始め、支援費制度開始時には「日常生活支援 241時間」からスタート、以降長年にわたり加古川市に対して介護保障要求を粘り強く取り組まれてこられた。

何度も何度も話し合いを重ね、その度に少しずつ介護時間数は増加して行った。また、高田さん自身、脳性マヒの頸椎症による二次障害による障害の重度化、身体状況の変化もあり、「重度訪問介護320時間 移動支援30時間」計350時間だけではとても足りず、時に生命の危機に瀕する事態もあり、切羽詰まった状況に直面させられた。

しかし、加古川市は「上限280時間を越え320時間を支給している」と高田さんの実情には耳を傾けず話し合いも平行線、事態はこう着したため、止むなく加古川市の処分(支給決定)を不服として2010年8月27日に兵庫県に審査請求を提起された。 審査請求には本人が直接意見を述べる機会を与えて欲しいと強く求め実現した。

約1年後の今年(2011年)6月末ようやく審査請求の裁決が下された。内容は「加古川市の処分を取り消す」。理由は「日常生活に生じる様々な介護の事態に対応するための見守り等の支援がどの程度の時間が必要か十分把握されたとは言えない」「請求人の具体的なサービス利用意向や、どのような生活をしていきたいのかが十分考慮されているとは認められない」とし、「国の定める基準に基づき適正に支給決定を行ったとは言えず、処分に誤りがあったと認めざるを得ない」との内容であった。

しかし「取り消す」としただけで、具体的に何時間なのかについて、引き続き加古川市との協議が始まった。

「らいふ・すけっと」の職員さんたちが親身になって全面的な支援・アドバイス、ケアプランを一緒に考え、行政は計7回にもわたり高田さん宅を訪問し、介護状況を確認、排泄・入浴など生活すべてを高田さんはさらけ出して訴えられた。

加古川市の審査会に直接話しをしたいとの要望は拒絶されたが、詳細な介護内容とそれぞれの問題点をまとめた資料とケアプランを市の審査会に提出し、その結果、ようやく「50時間増量」が決定した。

「重度訪問介護が320時間から370時間」になり、それと移動支援30時間で合計400時間になった。高田さん自身、ブログで「ここ播磨では400時間が大きな壁のようです」とコメントされている。

●兵庫県内各市町の支給基準

高田さんや支援者が多大な労力を費やした結果、勝ち取られたものであるが、当事者の生活実態をちゃんと見ていれば、当然認められたことである。国は「基準を設ける事が適当」としつつ、個別には「個別利用者の状況・希望を勘案して、基準を上回る事があってもかまわない」と通知しているにもかかわらず、逸脱した運用が行われているのだ。

— 中略 —

審査請求にはものすごい時間と労力がかかる。

高田さんは、まさに我が身を削って取り組まれ、誰しもできるものではない。この間の神戸市の事例でも明らかなように、主張しなければ行政は「上限です」と利用抑制しかしない。

そのためにも国における制度化と財源確保が求められます。しかし、仮に国の制度が変わっても、要求していかなければ、現行の支給基準は生き続けて行きます。障問連として、個人の闘いをバックアップしつつ、県内各地域での取り組みを活性化していきたい。 (終)

 

遷延性意識障害の夫との生活~交通事故により重度障害となった夫~

加藤 こずえ

私には遷延性意識障害という障害をもった夫がいます。 「植物状態」とも言われていますが、私たち家族はこの言葉は使用したくはありません。 しかし遷延性意識障害では通じないので伝わりやりやすさから使うこともあります。

◆初めてのことばかりで

交通事故で脳に損傷を受け、大きな障害をもってしまいました。

重度障害者となりました。痰の吸引が必要で、食事は胃ろうからの注入です。完全四肢麻痺の状態で、常時介護です。

障害名も聞いたことありませんし、制度も知らない。こんなことが起きて初めて知ることだらけでした。病院・市役所・保健所・事業所・福祉用具店など出かけていったり、電話をしたり、書類を書いたり、契約したり。 私たちにとって必要なことだったので頭をかかえ、体を使って一生懸命やりました。とても疲れた記憶があります。でも1人では何も出来ないのでみなさんに助けていただきました。

◆在宅介護にむけての準備

在宅介護にあたってヘルパーさんの助けは必要不可欠です。

そしてどこの事業所さんと契約するかも大きなポイントです。やってみてダメなら次って考えもあるようですが、出来れば一発一中でいきたいものです。私は市の「身体障害なんでも相談」の無料相談というものを利用しました。介護保険でない彼にはケアマネが付きません。家族が行わなければならないことだらけです。こんなことも初めて知りました・・・。

その相談員の方と出会えてよかったと思います。

ド素人の私に丁寧に教えてくれましたし、市の窓口・事業所さんなどとの架け橋にもなってくれました。その方とつながりのある事業所さんをいくつか聞き、その中に「らいふ・すけっと」さんがありました。

理事長自身が障害者であることが私をひきつけたのかもしれません。話をしたいと思いました。障害・介護というものがわからないまま、その準備をしなければならないのは不安なことです。「らいふ・すけっと」さんと話し合ううちに、「きっと私はここにお願いするだろうな」と感じました。

障害・制度について詳しく、気負い過ぎている私を見抜いてもおられたし、力になってあげようという思いが伝わってきたからです。

◆在宅介護の始まり 真剣なヘルパーさんと

彼を迎える準備が整い、また家族一緒の生活をスタートさせることが出来ました。4年ぶりのことでした。

在宅に向けて医療・介護の指導は受け入院中にも積極的に関わりを持ち学んでいましたが、家で過ごすとなると24時間ケアになります。 彼との生活が始まる!! との喜びも束の間、現実は「どうすればいいんだろう・・・。」とバタバタしていたように思います。

初日の夜は「マットレスあってるかな?痛くないかな?」「ちゃんと息してるかな?」「痙攣こないかな?」と、心配で眠れませんでした。

ヘルパーさんが入ってくれるようになって、しばらくは落ち着かなかったです。

やはり人が毎日出たり入ったりするのに慣れるのには時間がかかります。最初なので注意点やして欲しいことなどを伝えて一緒にやってみたり。介護の面でプロですからやり方はお任せです。彼の状態を知ってもらい「後は慣れれば大丈夫!! 」と思って欲しかったのです。

みなさん積極的な方たちでした。「次何しましょうか?」かはもちろん、私がしていることにも目を留めてくれ疑問に思うことは質問してくれます。その中でやれる範囲のことは介護の中に取り入れてくれます。

在宅になり1年を過ぎた今でもヘルパーさんのメンバーが同じです。メンバーは増えていて、減ることがないのがとても嬉しいです。真剣さも積極的なところも変わらずです。

一発一中でした!!

◆夫の表情も変化 まばたきや首振りで意思表示も

彼自身も家での生活にも慣れ、ヘルパーさんたちにも慣れています。表情も良くなりました。

彼はまばたきや首振りで「はい/いいえ」を伝えてくれます。 「トイレする?」と聞くとまばたきをして教えてくれるので尿器ですることもあります。「こっち(右・左)向いてー」というと向いてくれるし、口腔ケアやマッサージをするのにも「口を開けてー」とお願いするとがんばって開けてくれるんです!!

いまのところはまだ100%の反応(正解や成功)ではないです。

でも怪我をした当時の無反応の時期を思うと、脳に大きな損傷を受けたのにもかかわらず、こんなことが出来るようになってきたんだと感心します。本当にがんばりやさんです。

遷延性意識障害といっても脳の損傷場所や大きさで障害の出方も違うものなんです。 そんな彼を見て家族や友達はもちろん、先生方や看護師さん、ヘルパーのみなさんも一緒に喜び、協力して下さり、励ましてくれます。心強いです!!

◆娘の声に反応 表情も豊かに

私たち家族は、彼と彼の両親と娘と5人で暮らしています。

娘に対しての彼の反応がここ最近では一番の変化のように思います。正直「彼女のことわかってないのかも・・・」と不安な思いもありました。娘が声をかけても返事(反応)がないのです。でも、リハビリで写真を見せるとそれが娘の顔だとはわかっているのです。

ずっと気になってはいたのですが、一緒に暮らし始めて少しずつ変化が見られ、今では娘の声によく反応し娘もコミュニケーションが取れているのを感じ嬉しくなりまた声をかけてくれます。

彼は理解できていることがほとんどだと思います。ただ自分から発信出来る手段が少ないのです。それでも「トイレの時は顔をどちらかに向けてね」と約束しているとグググっと向けて教えてくれます。

「おもしろい顔してー」というと鼻をヒクヒク広げたり顔をくしゃっと歪めて見せたりします。「笑ってー」というとおもしろい顔と同じ顔になっちゃうのですが顔を歪めて見せてくれます。通じ合えてるとお互いに思えていればまた先に進めます。

ただ、調子が悪い時やしんどいや痛い場所を伝えている時にわかってあげられないことがあります。なんとなく表情や返事の仕方で感じるのですが、「どこがどうなっている」まではわかってあげられないのです。体調を崩しやすい季節、誤嚥性肺炎など気をつけてあげないといけないこともあります。毎日の観察とケアが大切です。

◆目標にむかって 「家族で出かけたい」「娘の名前を呼んで欲しい」

彼の目標(家族の願いと目標)は座位をしっかりと取り、首を思うように動かすことが出来るようになって今よりずっと小さな車椅子に乗ることが出来て自家用車で家族で出かけられるようになることです。

そして声を出すこともです。娘の名前を呼んで欲しいからです。

彼は娘が10ヶ月の頃に怪我をしました。娘は名前を呼ばれた記憶がありません。ものごころ付いたときからこの状態だったのと、怪我をしてこうなったことを理解しているので「私のおとうさん」と思っていますが、「早く元気になって抱っこして欲しい」やお父さんは料理が上手だよと教えてあげると「おとうさんが作ったごはん食べたい」と娘なりの願いはあるのです。

彼は家では、息子で夫で父親でと役割があります。両親に対して申し訳ない思いと感謝の思いでつらさを感じながらも喜んでもらえるように息子としてがんばっていることだと思います。そして両親は喜んで彼のお手伝いをしてくれます。親子の良い関係だと思います。娘には父親として、してあげたかっとことが出来ない悔しさや寂しい思いをさせているつらさを感じているでしょう。そして私にもなにか思っていることはあると思います。聞くのが怖いような気もしますが・・・。

彼が怪我をする前の状態に戻ることはありません。 でもこうなっていきたい!という目標はいつもありそれを目指してがんばっています。彼にとっては全てが刺激でリハビリなのです。

服やシーツを濡らしてしまったり、手をかまれたりそんな失敗もいっぱいします。

「もうー!」と言っても仕方ないことですが出てしまうこともあります。でも、それは介護の生活でなくても夫婦で言い合ってる方もいることだと思います。同じです。私たちの形はこれで、この生活が普通になっているのです。

残念ながら法律や制度の中で制限されてしまう部分も多いです。今はその中で工夫しながらせーいっぱいやっていくのです。

さまざまな理由で障害をもつ家族を家で介護されている方はたくさんいます。生活しやすいよう家族はがんばっています。

私の思いでしかありませんが、特別視はして欲しくありません。こういう家族がいることを知っていて欲しいことと、遠慮したり遠ざけたりはしないで欲しいと思います。どう接していいかわからなかったりもすると思います。私もいまだにそうだったりします・・・

遠ざけられるのなら聞いてもらえた方がいいです。大変な中でも普通に過ごしていたりもするのです。

彼は30歳で、怪我をしてからまだ5年です。まだまだやれるはずです!!

彼の回復・向上をめざして彼と家族、友達、先生方、看護師さん、ヘルパーのみなさん、応援して下さるみなさんで諦めずにふんばっていきます!!

〒675-0023
加古川市尾上町池田387-3
ユニハイツ101号