2008年7月発行機関誌 No.007

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2008年7月発行機関紙(No.007)より

理事長でもある高田さんが、自立生活をはじめて、早30年が経ちます。それに比べて、障害者自立生活支援法は 平成18年に施行されたばかりなので、まだまだ赤子です。 成功するのも失敗するのもこれからが勝負です。みんなでしっかり育てていきたいですよね。

30年を振り返って思うこと

一人暮らしをはじめて30年、長かったような、いや、あっという間に過ぎたような日々でした。 両親の大反対を押し切り、やっと安いアパートを借り暮らし始めたもののとても生活しているといえたものでは ありませんでした。当時、ホームヘルパーは介護保障としての制度ではありませんでした。 それで市や国に介護保障制度を訴える一方で、いろんな大学等へ出かけてビラまきをして明日のボランティアを探す、 またいろんな社会問題を考える集会に参加して障害者の現状を訴えて介助者になってくれる人を探す日々でした。

当初はボランティアによる介助体制

ボランティアによる介助体制だと不安定そのもので、バイトや家庭の事情で介助予定日のドタキャンもよくあり、 そのたびに深夜まで電話で交代のボランティアを探したり、誰かのお宅に非難させてもらったりすることも ありました。

生活をはじめて覚えなくてはいけないことばかりでした。たとえば洗濯物をためすぎて洗濯物にカビが生えたことや、 ごみの収集日を忘れて山のようにたまってしまったこともありました。その他いろいろな逸話があるのですが、 今回は差し控えることにしておきます。

一番苦労したことは、他人(ボランティア)との付きあい方です。養護学校育ちだったので、 教師以外の他人との付き合いが無く、いまだにそうですが、思いが伝わらずに誤解やトラブルもよく起こり 関係が崩れていったこともよくありました。こうした経験が一番しんどいことでした。

今は、仕事と遊びで充実した毎日

いまだに、決して十分とはいえないけれど、一定の介護保障が確保され24時間のほとんどに誰かが居る体制が 出来るようになり、生活はそれなりに安定してきました。らいふ・すけっとの理事長としての役職に プレシャーは感じますが、毎日忙しく充実しています。そして、最近、趣味であるダイビングなどの遊びも覚え 時折楽しんでいます。仕事と遊び両方が人間として大事だなあと感じております。

両親の反対を押し切り、家を出て「親の援助を断りつづけていた」ころ両親が急に年老いて行くのを見て 悲しい思いもしましたが、しばらくして初孫が出来て、両親が夢中になって元気になりほっとしました。 今は、もう両親共に80歳前後になりますが、二人でけんか?しながら暮らしています。 いつまでもこうして暮らしていられることを願っています。
たいそうなことじゃない

若かったころは、自立生活や自立障害者という言葉をよく使っていましたが、 そんなにたいそうなことしている気持ちは無く、日々をただ一生懸命生きてきただけのような気がします。
ダイビングをしていて感じる事は、「弱肉強食」の自然界が一番「共生」しているのではと思うことがよくあります。 ジンベイザメのからだの藻を食べて掃除しているコバンザメの話はよく聞きますが、 イソギンチャクに隠れているクマノミ達やナマコにも小さな海老やカニが寄生して暮らしている。 寄生しているほうの生き物も、ただ敵から身を守ってもらうだけでなく、餌を呼びこむなどお互いの良いことが ある場合がよくあると聞いています。進化の中で生まれてきたものですが、実にいろんな生き方が、 あるものだと感動することが毎回あります。

今の人間社会でもいろんな生き方が認められる世の中になれば、 僕のような重度障害者でも自分の選んだ暮らしがもっと楽に出来るのだと思います。

誰でも可能性をいっぱい秘めている

よく高田は、今の生活がしゃべれるから出来るとか、意思があるから出来るとか、いわれる方が居られますが。 そんなことでは無くて、たまたま僕の周りに僕の意見に耳を傾ける人がいて共に支えてくれる人が居たから 出来たのだと思います。そしてその人たちの問題も出来るだけ考えていくようにしているからだと思います。
知的障害者の親御さんは「うちの子は何も分からなくて自分のことは言えませんからね」という言葉を よく聞きますが、ヘルパーを派遣していき報告などを聞いているといろんな経験をしていくうちにどの利用者の方も 意思ははっきりしているのだなということが分かってきます。 逆にヘルパーが介助にお伺いして「癒されて」帰ってきましたという報告もよくあります。
きれいごとでなく介助する側、される側だけでなくお互いのものの見方で互いに得るものがあると思います。 障害が重くなればなるほど多くの人と関わり、その関わった人たちの見方や支えを得ながら生活を組み立てていけば、 どんな障害があっても可能性がいっぱいあるのだと思います。

参考: 高田の遊びの報告がいっぱいのページ「こんな生活もあるよ」

理事長 高田 耕志

介護技術研修会

いつまでも元気に暮らしていくために、その第一歩は口からおいしいものを食べることです。 そして食べた後の歯磨きも大切。

さらに今回は、二次障害のことを分かった介助方法についても体験してもらうことも含めたヘルパー研修会を 実施しました。(この研修会は県の重度訪問介護に対する助成制度を利用したものです。 内容は重度訪問介護利用者の高田耕志さんを対象としました。)

内容と研修参加者の感想

(1) 料理作りと試食(食べやすい料理ってどんなの?)
<研修内容・目的>
ぶりの照り焼きとほうれん草の胡麻和えを、実際に下処理から調理までの各段階を、 担当したヘルパーに作ってもらう。味付け、焼き加減、茹で加減を本人の好みと、 本のレシピを参考にしながら作る。
<感想>
高田さんは甘辛い味付けが好みだと初めて知った。
これまで自分が味見して納得するに留まっていた。
試食できてよかった。他のヘルパーのレシピも知りたい。
せっかく作る料理を喜んでもらいたい。
味付けや料理法などは利用者さんと相談しながらやっていきたい。

(2)食べたら磨こう
<研修内容・目的>
歯科衛生士の山川さん(石上歯科クリニック勤務)による歯磨き指導をしていただいた。 虫歯と歯周病の進行過程の説明と、歯ブラシ、歯間ブラシ、電動歯ブラシの適切な使い方を、 ヘルパーがモデルになり説明してもらう。さらに高田さんの効果的な歯磨きも実演してもらう。
<感想>
今までどう磨けているか考えていなかった。
高田さんの歯磨きの具体的な方法を教えてもらって分かりやすかった。
ヘルパーの介助の仕方が、虫歯やその他の疾病に大きく影響していると感じた。
モデルになってみて自分で磨いたことのない位置にブラシが当たっていてとてもよく分かった。
ブラシの交換時期も大切なことがわかった。

(3)二次障害の予防について
<研修内容・目的>
脳性マヒの人の首や腰に負担がかからない介助方法を学んでもらう。 高田さんが寝返りを一番楽にできると感じているヘルパーに実演してもらい、他のヘルパーにも参考にしてもらう。
<感想>
二次障害の恐ろしさがよく分かった。
できることは本人にしてもらう方が良いと思っていた。 自分でできることはやらなかったらだんだんできなくなると思っていた。
障害によって違うので正しい知識が必要と改めて思った。
寝返りにはなぜ介助が必要なのかわかった。
寝返りの介助の仕方のコツを体で覚えたい。
高田さんがこれからも元気で過ごせるようにしたい。

全体の感想

具体的でとても充実した研修であった。相手の立場を考えた介助を見失っていたことに気づかされた。他のヘルパーがどのように介助しているかがよく分かり、情報交換もできてよかった。事業所内での研修会もいいとおもった。外部の研修会で学んだ知識や技術を共有していきたい。

研修を実施して

今回のテーマ(料理、歯磨き、二次障害)は利用者にとって最重要課題です。 しかし、日頃の介護の中では、利用者自身では伝えきれない部分があり、介助者それぞれの判断で実施し、 その内容も介助者によって異なることも少なくありません。

そこで利用者にとって、より望ましい介護を実現することを目標にした研修にしました。

調理と試食、歯磨き、寝返りについて、高田さんの場合はどうすれば良いかを皆で考えながら、 参加者全員が実際にやり方を体験してもらったことが、分りやすく納得が得られたようで、 一人一人活き活きと興味をもって取り組んでもらえていたように感じられました。

今後も具体的で即役に立つ内容で、介助者間の情報交換も踏まえた研修会を開催していきたいと思います。

所長 友田 美代子

〒675-0023
加古川市尾上町池田387-3
ユニハイツ101号